「日本拳法」の歴史
日本拳法の誕生
東洋には、古くから諸派の拳法が伝わっている。いずれもみな長い道統を有するが形(型)の拳法である。だが、私が昭和7年に創始したこの日本拳法は乱(らん)の拳法であった。防具を創案し、それを着装して、お互いに自由に撃ち合って、拳の法を修めるものである。
初めてこの世に生まれた乱の拳法には、もとより師家もなければ、道統もなかった。われわれの修行と研究は、いわば、人跡未踏の大陸を探求するようなものであった。
防具草案
従来の形(型)稽古から自由な撃ち合い稽古へ
拳の格技は、組打ちの格技とちがって、修技者の両名が、相対して互いに自由に技を戦わせて稽古することは、きわめて危険である。
これがため、拳の格技の稽古法は、古くから補助的な独り稽古をしたり、また修技者同志が形(型)の形式で稽古してきたものであった。もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
実際に役立つ、実法を修練するには、どうしても自由に撃ち合う稽古をする必要がある。そこで私は、自由な撃ち合い稽古を工夫考案したのである。もちろん防具のないときのことであるから、互いに拳足を相手の体に当てないように、その寸前で止める空撃をもって、撃ち合いをすることにしたのである。そこで、まず、約束組手、自由組手、真剣組手の三つの稽古法を創ったのである。
防具の創案と乱稽古の誕生
自由組手の出現は、いままでの拳の技法を一変させた。しかし、なんといっても、互いに空撃の撃ち合いでは、不十分なところがあり、それなりの欠陥もできてくる。
本当に充実した修練成果を収めるには、さらに一歩進んで防具装着による稽古をせねばならない。
われわれ自身の手による試作品は実験を繰り返し、できあがった手製の防具見本として、街の専門店へ回し製作されることになったのである。それからは、防具を着装して思う存分、力一杯の突打蹴をもって撃ち合い、組みついては投技・寝技にも転じ、徒手格技の総合的な稽古をすることとなったのである。
もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
澤山宗海著「日本拳法」より